昨日、覚醒剤取締法違反だか大麻取締法違反だかで、とある勢力の組員が数人、古鷹某所で逮捕されたらしい。
けれど親愛なるクラスメイトたちは、そんなニュースには関心がないご様子だ。まあ高校生なんてそんなものだし、俺だってそのひとりである。薬物の密売なんて、普通に生きてさえいれば一生無縁のまま天寿を全うすることができるのだから。
春頃に起きた無差別連続通り魔事件と比べたら少々センセーショナルさに欠けるそのニュースは、だから教室で話題に挙げられることはなかった。どうやら彼ら彼女らは別の話題で持ちきりだったようで、何やら隅のほうでひそひそと盛り上がっている。
そんな六月二日、火曜日。俺が教室に着くと、あんずは既に登校してきていた。前から二列目、一番右端。廊下側の机が彼の席であり、その左隣に俺は腰かける。
いつものようにあんずとたわいのない世間話をしていると、やがて椎本先生が前の扉から教室に入ってきた。委員長が号令をかけたので、俺たちは立ち上がる。彼女が教壇のところまで移動するのを見計らってから、挨拶をして、着席した。
連絡事項を伝えてくる先生。その口から薬物だの密売だのという単語が出てくることは当然なく——怪訝そうに眉間に皺を寄せて、何かを見つめている椎本先生のことは少し気になったものの——ホームルームは普段と同じように進行していく。そうして、いつもと変わらない一日が始まろうとしていた。
しかし。
「——さ、西城さん!?」
ホームルームが終わって、一限目の授業の準備をしていたとき。突然、教室に悲鳴のような声が響いた。
俺を含めた三年B組の生徒の視線が、一斉にそちらに向けられる。驚いたことに、その声の主は椎本先生だった。彼女が担任となって約二か月、そんな風に大きな声を上げている先生を目にしたのは初めてのことである。
椎本先生は教壇ではなく、前から四列目、窓際の机の前にいた。その席に着いている女子生徒——西城花姫はというと、きょとんとした表情を浮かべて彼女のことを見上げている。
「どうされたんです? 先生。そんなに声を荒げて」
「どうされたは西城さんのほうでしょう! その机、誰にされたの!」
「ああ、これですか。何か問題でも?」
「問題しかありません!」
先生はさらに声を荒げる。けれど西城のほうはのん気なもので、どうして自分が怒鳴られているのか——というより、椎本先生が何に対して憤っているのかさえ、よくわかっていないようだった。
そんな彼女の様子に先生はひとつ嘆息を漏らして、それから自分の手首に巻かれている腕時計に視線を向けた。
「確か、一限は浮橋先生の古文だったわよね。臨時の学級会を開くから、私のホームルームと交換してもらえるように、今からお願いに——」
「そんな馬鹿なことをするつもりなんです?」
椎本先生の言葉を遮るように、西城は彼女を睨みつけた。その視線に込められたすさまじい迫力は、西城の席から少し離れた俺にでさえ十分に伝わってくる。
だから、そんな鬼気迫るような鋭い眼差しを正面から受けた先生が反射的に、あるいは気圧されるように一歩後ろに下がってしまったとしても、誰も彼女を責めることはできないだろう。
「この程度のことで、無関係な人たちの授業時間を奪うつもりなんですか。受験生の授業は大切なんですよ、先生」
「こ、この程度って……西城さん、わかってるの? それとも本当にわからないの? これはいじめ——」
「死ななきゃ安いもんですから」
先生は絶句した。理解しがたいものを目にしているかのように、目の前の少女のことを見つめている。
もっとも、と。普段通りの口調のまま、西城は呟いた。
「——直接手を出してきた場合は、容赦しないですけど」
それは独り言のような言葉だったけれど、彼女の凛としたその声は確かにクラスメイトの全員に届いたのだろうと、そんな確信のようなものを俺は覚えた。
それからのことだが、授業は驚くほど何事もなく進行していった——正確には授業のためにこの教室に訪れた教師全員、西城の机に対して椎本先生と似たようなリアクションをしていたのだが、当の本人である彼女自身がどこ吹く風だったので、それ以上何も言うことができなかったと表現したほうが正しいのかもしれない。
そんな西城の振る舞いのおかげで、少なくとも午前中は、比較的いつもと変わらない一日だったように思う。
余談だが、彼女の机は四限の授業が終わってすぐに先生たちの手によって取り換えられた。
西城花姫の机に何があったのか、結局、俺はそれを目にしないままだった。
見るまでもなかった。